みgのゲーム日記

感想か保管

オワコン化するゲーム一覧

ソシャゲ→市場縮小。コロナの終わり

ブルアカなど、完全に傾向と対策を練ったサプリメントが台頭。そのルーツはFGO奈須きのこ。閉じた世界。TYPE-MOON教。オウム真理教新興宗教的なベクトルややあり。

日本的想像力の限界。ビジネスモデルの陳腐化。西海岸的進歩に対する形式的追随の代償。

サイゲームス;経営体質のモラルの低さ。親会社との関連、ノルマ主義、分断された現場、ビッグモーター性

リアイベ重視、アニメとのクロスメディア展開無視、連携より個々の搾取優先、リアイベも搾取重視、声優の人権や職業的善を無視、軽視したコスプレ

スクエニ;大ヒットタイトルにかまけた中身のない商品の量産、意味のないソシャゲ新規展開、変わらない意識、タイトルに対する自意識過剰、AAAに力を入れるなどの誤った新陳代謝経営判断

任天堂、ゲーフリ;スクエニよりはましだがコンテンツ名にかまけた搾取の横行、DV、モラハラ、快適性をあえて抑制して飼い慣らすパブロフ実験、特に言語道断なのはレイドバトルや、技エフェクトカットできない、全く意味もなくオープンワールド、マップ読み込めばいいじゃん別に。ドット絵の時代に描けていたものがただ抜け落ちていく奇跡。ポケットの中の野生、インベーダーから始まった対象aへの欲動、死への欲動への接近はなく、ただ管理されたビオトープの偽りの生態系を楽しみ、ゲーム運営に飼い慣らされたくさんの時間とお金を費やした人間がゲームからおりられなくなっている、コンコルドの巣窟と化している。

ランクマ、民度の問題、一部特権階級の運営との癒着、内輪ノリの寒さ、精神年齢の低さ、音ゲーTOEIC点数イキリ、合格した途端成功者ヅラできるという他者前提のアイデンティティ。モラルの低さ。中には真摯に楽しんでいる人もいるし、生きたコンテンツではあるが、有害情報が内包されすぎている。危険。結果を出すのも難しい、レッドオーシャン

ポケモンスリープですら、もろもろの素材集め、料理作り、ポケモン捕獲は冗長。一瞬でスキップをもっと実装すべき。ワンタッチで睡眠スタート。ワンタッチで復帰、記録完了。これは睡眠アプリとしては徹底してほしかった。プラスアルファはこちらの任意と。なぜポケモンというコンテンツなのだからお金と時間使って当然だろ、という殿様態度を取れるのか。日本の傲慢、会社の傲慢、無明な信者の全肯定と、共犯関係。

 

マリオカートスマブラ

レートを目標にすると終わりがなくなる。99999にすれば満足?そしたら負けたくなくなるから維持し続けなきゃって思う?

じゃあどこをラインに設定する?20000いけば間違いなくゲームクリアとはいえそう。そこ目指すのはかろうじてありだろう。タイムアタックして、NISCを普通に決めて。ただやはりゲームの民度。もこう。バロリ。関わる人。ストレスを求めに行っている人。淡々と上げるにはあまりにストレスフルだし、運による破壊が大きい。それを楽しめるマゾヒズム。一種の破壊衝動、壊れることを内包したい破滅願望にもみえる。の割に時間をかなり食う。

技術だけいえばタイムアタックで世界記録のギミックを体得し、NISCを当然決めれるようになり、あと実践の細々したテク、アイテム使用タイミングとかつかんだらそれ以上は学びもない。ストレスを欲しがるだけのゲームに見える

スマブラも同様。VIP制度のため、そこに到達するのは目標となるが、そこから落ちないという次の試練があり、それは強くなりたいからではなく、いちど手にしたものを失いたくないという弱さでしかないように見える

結局、本当に好きで、強くなることに際限なく向き合える一部の人、努力を努力と思わずにできる人が、

apexも同様。shu3の動画で、ある程度の年齢の人25くらい以上?でFPSで結果出すには、地道にエイム練、そんなのやりたいか?それをやったとしても、ただ好奇心とアドレナリンと若い反射神経と無尽蔵の時間だけで上達しまくってるキッズにすら勝てないジャンルで。うまくなったところで誰かが褒めてくれるわけでもないのに。ただみんながやっているコンテンツに追いつきたいくらいのインセンティブしか見出せないなら。やる必要ないのでは?

スポーツ選手が反射神経や、最短距離最適行動の判断練習に使うなどの、素材として使うには十分よさそうだし、そういう意義もある店ではeスポーツとして選ばれるくらいのものには本気を出す価値はないとは言い切れない。が、それにしても有無を言わさず熱中できる人以外は、なんとなくで入るメリットがかなり少なく、弊害の方が大きい。

 

ゲームを作る上で桜井政博的なモラルの高さは、日本企業からはもう全く感じられない。

そして中国や韓国のゲームからは、感じられる。完全にとりこまれていくだろう。

日本はアニメ・ゲーム文化が強い。それは民族的、歴史的地理的要因がとても大きいし、至高の雛形や原型はそう変わらないから、今後も、発信地としての価値、0→1の希少性は変わらないと思う。

ただ、1→100も自国でできればゲームアニメサブカル産業で日本自体が潤っていける、だけの素養があるのに、あまりにずさんな会社経営、資本主義的立ち回りのへたさ(これは戦争の下手さと完全に直結していると思うけど)、によって、1→100のノウハウを他国に奪われ続けている。

意識が低すぎる。モラルも失っていれば、何を守るべきなのか、どれだけ切迫した問題なのか、どう優秀な人材を作っていく必要があるのかまるで見えていない。

ポケモンドラクエ、FF、マリオ。その成功の秘訣は常に民俗学的な、歴史的な深淵があったからであって、そのコンテンツのガワだけを残した醜悪はもっとみんな切り捨てていくべきで、今まさに主に中国に完全にのっとられ始めていると思う。

ヘブバン、key作品という日本的想像力(セカイ系)中景を排除し、オタク的弱さへの一つの時代的回答をなし得ていたものも、中国に吸収された。ジブリ的なアプローチも、よくわからんカルト的ムーブ、小さいムーブメント、意味の薄めな自己満ミニマリズムに陥っているように見える。

 

ゲームに救いはあるのか。ない。自己啓発の道具になった。ポケモン最終3桁を取る方法!みたいなのが、かつての受験戦争や年収競争からコンバートされてきただけ。まるで意味がない。自己啓発で、実力をあげまくって、発信しまくって、つながって、で疲れた人は、Vtuberみて二郎系食べてアニメ見て広告見てX見てエナドリ飲んで、っていう飼い慣らしスパイラル、共犯関係

この生活からぬけだせない人たちを食い物にしている、ゲーム

 

よきものを探す、これはとても人間的な行為だ。

ゲームはひとが作るもので、魂が宿るから、いいものも絶対にあるし、見つけていくおもしろさもある

その観点で、しかし、いまの流行り物はほぼすべて、魂がやどってない拝金主義のゲーム未満の、信者の壺と化しているとまでいっても、過言ではない、それだけ今、ゲームの想像力は衰えているとの感想。

 

結論は将棋や麻雀レベルの信頼と歴史があるもので地道に頑張るか

選ぶにしてもなるべく時間やお金の観点は持っておくこと、文化的な新陳代謝を大事に

あるいはもうゲームはゲームでも実際に体を動かす試合の方にいく

ゲームを作るほうにいく。ハードもソフトも。