みgのゲーム日記

感想か保管

ゲームとインターネット雑観

ゲーム

 

・ルーツとなったゲーム(下に別記したもの以外)

エメラルド

ドラクエ2(ケータイ)

ピンボール、おかしなダンジョン、ラミィの大冒険2、じゃんけん迷路、ブロック崩しなどプリインストールされてたやつたち

ディグダグ(縁日の景品)

イナイレ

 

アマガミ キミキスは少しだけ

民俗学、ゲームレビューを形にする。実況という名の研究整理も行いたい

令和のアマガミTV作る。インターネッツの集大成。善きものを集めていく姿勢を見習う。

 

ポケダン

クリアした。全クリといっていいかな、あとかろうじてかつやくのあとの些末なところ埋めたいくらいか。そらのおくりもの、他人救助、訓練全部、など。オンライン環境ないから無理かも。

ゼロの島南部、うんめいのとう打開。たまにやりたいかもしれない。スマホに移植したい。ファイル移動できるのか。模索。

本当は、上記ふたつのダンジョンデータだけ取り出せたらそれでもいいんだけれど。そこだけあえて取り出すなら全部移植する方が数億倍楽だろう。内部データの勉強にはなりそう。

 

ポケモン

DLCを買わない選択をしようと思う。

ランクマはモチベあったらやりたいかも。

乱数調整界隈はちょっとやっぱり、、、あれ。

改造界隈も、、、うーん。界隈、といえる空気出してるもの全てがすでにディストピア感すごい。Twitter、Xが特にそう。淫夢ネタみたいな言葉しか喋ってない印象。AIでオーケー。

自動化は、今ほっとなところもあり、見れる。RTAも。バグも。自分もどれも足突っ込んでる当事者ではあるから、自分だけでもまずは淡々といきたいわね。素敵な人も探そ。

 

ポケモンがもともともっていた野生の思考は、もうほとんど残されていないので、卒業の時期がきた。ウマもなのだが。ここでいう卒業は、はい、売ります。とか、捨てます。とかではもうない。自分の確かなる一部になったことを踏み締めつつ、その箱を大事に、遠くにしまう感じだ。いつ開けてもいいし、別に毎日確認したっていいのだけど、遠くにはしまうかなあ。って感じ。色々なことを教えてくれたコンテンツであることは間違いない。感謝。

 

ウマ娘

広告企業の独立省国家としてのプロパガンダ性、新興宗教性を学んだ。

当該企業固有の特質として、コンテンツを大切にしていくよりも売り切り発想であり、一旦開拓した顧客は適当に食い繋いでおいて、他の層に照準を当てていく、という傾向にあるらしい。

それがうまく作用していれば一つの主義としてありなのだろうが、個人的な価値判断としては、幼稚なやり口かつ、暴力的でもある。社会的な意義やモラルがあまり高くないように感じる。焼畑農業プランテーションと呼ばれるのも納得である。モノカルチャー経済を仮想空間で行い奴隷を少ない報酬で働かせる。そんな空気が蔓延しているのではないだろうか。

 

しかし、広告企業の子会社だけあって、「覇権」(そのコンテンツを遊んでいれば、まず間違いない。という空気)の演出だけは目を見張るものはあり、特にアプリリリース時あたりは紛れもなく社会現象であった。

ここまで実態が暴かれて、会社全体に漂っている新陳代謝の悪さ、指揮系統のちぐはぐさ、ノウハウの伝達、伝承、継承のずさんさ、優秀な人材の使い方の荒さ、シナジーのなさが露呈すると、もう今後の改善に期待するとか、そういう段階にはない。親会社社長や、その広告展開含めてみても、あまり展望があるように感じない。

株価も落ちているが、他社との連携、訴訟への対応など、この局面で、どのような立ち回りをするのか関心がある。

 

アプリ(ゲーム)に関しては、今後絶対に、まともに遊べるようになることはなく、集金装置として、コンコルド人間から低敵的な搾取を継続するだけである。

私としては、無課金として、この運営の悪意にくらいついてきた大切な戦いの時間があったし、実際ランカーにほんのわずか手が届かなかった103位の週もあったし、

因子やらゲームノウハウの資産はあるため、いまだ、完全に消去はできずにいる次第だ。

 

ただし、石の貯蔵に関してはしっかりできているが、今まで吐き出さなかったことでミスだったタイミングは、

・水着ゴル氏

・コパ

(・諸説あるが、クリオグリ)

 

欲望を出して大失敗したガチャ

・初出ヤエノムテキ

・初出代理ライス(初めのハニバ) 以上は、ガチャの引き方自体を知らなかった

・初出正月フクキタル(あまりに出なさすぎて石全放出)

・ハロウィンデジタル、ドトウ(40連で止めとけば勝ちだった)

・神イナリ(別に引かなくてよかった50連)

ちゃんと天井あったし、うまくいったガチャ

・水丸ファイン復刻 一天井で完凸と3凸に。

ちゃんと天井ためたけど、運がカスすぎたガチャ

・ラモーヌ初出、ラモーヌ復刻 

 

判断はもう完全に最善のものをやっているので(ゲームのいいところは、これがいえるところ)、そのうえで、無課金テーブル、ガチャテーブルがあまりにひどすぎる。

その仕打ちをうけてなお、めげずに、運営、会社の風土などをより冷静に分析していくことで、こちらの主体性を明け渡さない、そういう盤外での戦いが、むしろ醍醐味になってきていた。

それが、一時期、自分の個人的なものかと思っていたのだが、

7月のCAの決算を皮切りに、多くの人が、この会社や子会社、その関連ゲームの運営に対して、強い不信感を持っていることが明らかとなった。そして、私と同じように、主体性をもって戦っている人がいることを知った。

そのため、私固有のことでもないので、私より競馬にもっと詳しい方、同会社の別ゲーもやっていてこの会社の理解が深い方、などの意見をもっと楽に取り入れていきたいなと感じた。

自分がひとり使命感をもって戦うまでもない。それほどの価値もない。というのは、梨泰院クラス、六本木クラスみたいな感じだ。

土下座させる価値もない。

 

で、最終的にこちらに残る欲望は、ランカーになって終わるってところ。

せっかく貯めてきた石もある。まだ10万ある。いっときは、急激にインフレと配布量増加が起きて、この大量の石がゴミになってしまうことをおそれたが、今の状況を鑑みるに、むしろもっとさらに絞る可能性すらある、くらい、もうアプリでは集金しか考えていないだろうと強く推認できる。

そのためこの石は、もう終わりでいいから一気に使っちゃおう、というのはあまりしたくないのが現状だ。

2.5周年での情報(のなさ)に期待しつつ、ラモーヌに結晶使うのは流石に勿体無い気がするから、あと一天井の運試しは、本当にギリギリ、あり。どうせ、出ても1枚、全く出ないんだろうなとは思う。水丸かぶりまくるのでしょうね。

配信、動画配信を通じて、誰かにソシャゲのコンコルドの罠に、当事者としての気づきを共有できれば、という思いもある。また、単純に、もっと面白いコンテンツ、ゲーム、インターネット、youtubeというプラットフォームなら色々できることがあるのだから、そこへと接続していけるように、勉強にもなるので、せっかくやるなら、企画にして、大切にしていくというのも、大ありだなと思う。

 

グラマスは三女神必須シナリオで、三女神の売り方が詐欺まがいだったためかなり評判が悪かった。次のシナリオではどう炎上してくるのか。どう集金してくるのか。

的確に石を吐き出して最適状態を作り、環境が定まっていない段階で考察を深めてまとまった時間を投資して、いける確信があればいく。というのが今の計画。

 

デタッチメントを学ぶという場でもある。広告企業という独立小国家が作るディストピア新興宗教団体の中で、信者のたまに放つ、突然の神(運営)の恩恵への盲目的感謝、射幸心煽り、それによる信者たちの教団へのコミットメントの強化、みたいなサイクルから、コンコルドから、鮮やかに軽やかに抜け出していくための手段をいっぱい持っていくこと。

また、そういった腐ったものに、しかしたまに引かれてもしまう人間としての弱さ、愚かさ、病も認めていくこと。認め、赦した上で、そうした弱さを前提として、どう向き合っていくか、どう善く生きていくか、新陳代謝を良く維持していくか、柔軟なシステムを作っていくか。を考える。

 

以下、最近の模索ツイート群、暇な時にでも貼り付けとくか

 

 

 

 

 

 

・過去やってたゲーム、やろうとしたゲーム

マリカ8dx

レート20000めざしてやめた。不毛。新ハードきたら考えたい。けどむしろマリカwiiの方に引かれている自分がいる。

 

スマブラ

これもvipとりたいけど、とったところで、次は維持、維持できたら、じゃあ他のキャラも、、、で終わりがない。ストレスを求めに行くのはウマで学んだ通りの不健康。せっかく不健康の誘惑に接近するなら、もうちょっと独自性があっておもしろいことをやりたいよね。スマブラ、マリカ、ポケモンなんて誰でもできるじゃん、俺はモラルやリテラシーがかなり曇っていたために、ひっかかるひとがまんまとひっかかりそうなものに、まんまと引っかかり続けてきたところがあります。

そこは真摯に受け止めたい。

 

APEX、荒野行動

これも友達とちょっとやったりしたけど結局、時間潰し以外のなにものにもならなかった。

本気でプロになる以外で、多大な時間をかけることのメリットが少ない。楽しいならもちろんオッケーだ。俺は向いてないかなあ。shu3のソロダイヤとか見て、エイム練をしなきゃ無理だってわかって、だったら現実のスポーツやるます。ガチで。てか現にそうなってる。

スポーツだって甘くはなくて、まちがった成功体験、成功イメージ、いかんせん完全に間違ってるわけではなく、どこかしら核、エッセンスに触れてる側面もあるから、そのあいまいな洗練性

 

 

 

 

 

 

インターネット雑観

 

2013年事変

2016年事変(どちらもメインな出来事は個人的なことなのでここには書かない)

この二つが私にとって断層のずれ、人生のそれ自体はあまりよくない変曲点だったのですが、

2013年の事変の結果のひとつとして、自我の拡散と、それに伴うSNSの利用の拡散というのがありました。

それでTwitter最初に作ったのが2013年の10月で、その垢がまだ生きてるし、なんだかソシャゲアカウントに使ったりした、そういう縁があった。

 

ちなみに2016年の事変の結果のひとつとしては、ゲームのバグに大ハマりして、特にエメラルドのザロクバグ。拡散した自我はもう知らなくて、理想と現実が乖離した状態を、ゲームのバグという脆弱性の部分から捉えていこうとしたのか、結構なコミットメントでもってザロクバグにうちこんでいた。時代的にはポケモンGOがリリースされてた。

アカウントの無限増殖が止まらず、身体性を希薄にしていった。これは神世界よりのアッペルバウム症候群というのが個人的にしっくりきた。業魔。自分は業魔であると。ハチ玉をたくさん操ることでなんとか、余計なことを、かんがてはいけないようなことに考えを及ぼしてしまうことを避けようとしていた。しかし無意識というのはコントロールしようと思ってできるものでもなく、本当にわたしもある種たがが外れていた。そのきっかけが2016事変だったのだが。それはまたどこかで話せるかもしれない。

 

2013年で体一つで心も一つだが自我が拡散し始めてしまった、承認欲とか、よくある現世的だめな快楽にのまれはじめて、主体性を失い、透明さを失っていった。ゲームやアニメや邦楽ロックなんかも、自分の魂が素直に積極的に共鳴したものではなく、もう鈍った頭ではこれしか入ってこない、みたいな感じで。だからこの頃聴いてたもの、取り入れたもので、今も残ってるものはほとんどない。まあ、みんなそんなようなものだったのだろう。

2016年で、体をもっと希薄にしていく方向にいった。なぜかというと、心が疲れ切ってしまったからだ。目に見えるひとつひとつで心が再度傷の記憶を思い出すので、体を希薄にして痛みを分散させていたのだろう。アカウントも無限に増殖してしまっていた。一応それぞれの役割を与えてコントロールしようとするも、そもそも入りが健康的でない、主体性があるわけではなかったので、作ったアカウント、そこでの自分の言葉が再度自分を苦しめたりするという。

 

はてなブログも似たようなものだ。2016でそういえば初めて作った。バグ由来の名前。

とにかく匿名性の中に物語を組み込みたくて狂気に陥っていた。深夜ラジオが代弁してくれていることがいっぱいあったのが救いだったかもしれない。

インターネッツはそのようにして、時代的な発展の流れもありつつも、私自身の拡散もありつつ。ついにその病理は慢性的なものになってしまっていた。

純粋に距離を置き、時間の解決を待つしかない状態にまでなっていたと思う。

そんな中でもゲームだけはできてしまうから、いいんだか悪いんだかというゲームに囚われてもいた。

 

そう、校長先生が言っていた通り、子供の主体性に全部任せること、21時以降のブルーライトは禁止すること。本当はこれだけでどうにかなってたレベル。

 

それを長い時間をかけてようやく、身を持って体験して帰ってきた感じだ。

2013、2016。それらの事変の断層、いまならなんでずれが起こったかもわかる。

 

その結果生まれでたいくつもの拡散したプレートだが、

脈が通う余地があるものについては、一応残しておく。

 

バグ由来の某ハンネ関連。

そのさらに派生、ゆえに少し自由にもなった、かつ2013の方にも回帰したこの垢。

 

まず2013の方、こっちは、つまりインターネットと正しく向き合おうって話なので、割と肩がついてきてる。

特に大切なのは、引用、論文やレポートを書くつもりの意識で、拾っていくこと。先人のリスペクト。自分の感想文は、それはそれでいいのだけれど、その中ですら、徐々に、論文のテイをなすものを作っていく、自然に。

誰かの役に立ったり、自分自身もより整理つきやすい、しまいやすい形に体系化していくための所作。

 

現状、TwitterもといXの方で、ちょっと再編成と方向極めの模索で雑多化したが、

もうちょい好き、善きものへの追求で統一することと、愚かさ、タナトスとの戯れもマナーを守って。お気持ち表明垂れ流すクジラではあかんよ。報連相だけで基本いいの。

そもそもXにはもはや、投稿するメリットがあまりないので、報連相の連絡手段として基本考え、文章はまとめてこっちに書いていって、

終わりが来たなと思ったらはてなもしめていこうと思う。

 

そしてはてなブログではなく確信ブログという名前のサービスを作って、はてなにまみれまくった不透明な日々と次に進むためのお別れをして、大切にしまっていきたいと。